なとり
2018年03月22日
氷川女体神社に言った夜に『玉依』という文字が脳裏に、そして『タマヨリ』の音が聞こえる。
2021年06月
玉依姫が祀られている佐谷田神社に参拝をする。帰り道に大雨のなかに帰るが、遠目に横たわる大きな嵐雲が龍に見えてならない。
2022年03月
自らの中から「みんなの念願を叶えにきた」という想いが込み上げてくる。
2023年12月24日
レイキ1stの伝授をうける。肩の力を抜いて、すべてのそのままを受け取ろうと思いました。
2024年01月15日
レイキ2ndの伝授をうける。
2024年02月15日
レイキ3ndの伝授をうける。その日の夜、夢を通してシンボル『大天子』の絵の光景と共に「適性がない人を導きなさい」と伝えられる。
長い間、深淵を彷徨うような人生でした。
意味のない人生、理由のない自分。『無』が私のなかで死を呼びました。
人生は地獄そのものでした。
希望すらひとつ与えられていない世界を、ただ彷徨い惑う人生を送っていました。
自分の価値をひとつも見つけることができないなか、神道の思想に触れ、私は私のなかにあるエゴの消失を目指しました。
不思議な現象はよくありました。神の夢をよく見ること、ちょっとした先手の予知夢を与えられたこと・・・・・・。
しかし、それが私の希望になるわけではありませんでした。
それでも「神に愛されている、神は私の苦しみと共にある」という実感は、私のエゴの消失の背中を押してくれました。
ある日、私は私とさよならをしました。
レイキをヒョンなことで伝授していただく機会に恵まれ、私はようやく私を意味付けすることが出来ました。
そのときの私は、今のような自己結合をする能力があったわけではありません。
ただ「そのままの自分」でい続けることに許可を出し、私は自分のなかにある霊能センスを受け入れました。
私のなかにある霊能開花というシーンがあるのであれば、それはただ受け入れることだけで済まされたのです。
それが私の人生であり、私は私の人生を否定していたにすぎなかったのです。それは私が愛する人たちの為でした。
やりたいことをやる。
ただそれだけのことが難しかった。
やりたいことが何かが分かりませんでした。夢も希望もありませんでした。
ですが、人生はすべて私のやりたいことの為に存在し、やりたいように生きてもいいのだと教えてくれました。
意味は後付けてもいい。そして、意味はすべて自分で見つけていい。
それはちょっとした勇気だったのかもしれません。
レイキを初めて、半年と立たずと、抱えていた問題がひとつずつガタガタと片付いていきました。
あれ? あれ? と思っているうちに、それは嵐が吹き荒れているかのように、私の頭を悩ませている問題が消えていきました。
本当は、そんなに難しいことではありませんでした。ただ、ちょっとした心のボタンの掛け違えがたくさんありました。
レイキは私のなかにある問題を一掃していきました。
それは取り残していた過去のテストを再び再試験を受けているような、そんな気分です。そして、合格をもらえます。
なんだ、そんなに難しいテストじゃなかったんだなって思いました。
私はレイキが好きなんだ。純粋な好きの気持ちを受け取って、私はそんな人生を受け入れました。
すると私に「心の声を聴く力」があることに気づきました。
最初は自分のなかにある心の声を聞いていました。
身体の痛みといっしょに私は心の声を聴きながら、私は私に寄り添い続けました。
私は苦しんでいました。そして悲しんでいました。人を愛し続ける人生は、私を苦しめていました。
私は私の苦しみを受け取りながら、私と対話をしていき、たくさんの涙を流しました。私は誰かを愛した分だけ、あの日、さよならをした私を愛しました。
私のなかにある苦しみは愛ゆえにあり、この苦しみが浄化されていくたびに、私は愛のままに生きる人生を歩める自分に気づきました。
次に、恐る恐るとあなたのなかにある心の声を聴くように、レイキを始めました。
あなたの心に触れているとき、私はあなたとひとつになり、苦しみを受け取り悲しみに涙を流し、声をかけていきます。
私はそんな瞬間に満足を感じました。私はようやく「私の役割」を見つけることが出来ました。
ただ、私は涙を流せばよかったのです。あなたの悲しみと苦しみに涙を流すことが私の役割でした。
それはあなたが誰かを愛した分だけ、あなたに愛を還元することです。
私はようやく無である自分を受け入れられるようになりました。
この世界において私に意味はありません。私には価値がありません。
しかし、私は私に意味を見つけ、私の価値を見つけました。
私は誰かの手を借りずとも、自分の価値を受け取ることが出来ました。
純粋に誰かの為に生きることができること、これ以上に良き日はありません。
なとり